ブロックチェーン ~公共性からイソノミアへ 前~

Yuya Sugano
Sep 14, 2021

前章ブロックチェーンと公共性についての走り書きから、中央主権的な存在とそれを生成する思考様式の土壌について。ヨーロッパ社会文化形成における蒐集と収奪の前提となる超自然的な思考まで。前と後に分けて、後でイソノミアについて言及予定。

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前章からの続き

前回『ブロックチェーン ~その公共性とイソノミアへの導入~』では、ブロックチェーンの持つ性質による公共性の可能性についての個人的な考察を記述し、本章の骨子とすることとした。そこで非中央集権的な性質を持つブロックチェーンは下部の公共性の装置として、上位となる国家・法などの公共性をアップデートし書き換え得る可能性について言及した。互酬主義に基づく交換の習慣として贈与分配があるが、国家・法や社会契約はそのような交換の利害を解決するためのシステムとして社会に存在していると考えられることを前提としている。[1]

前章ではエージェントを不要とする公共性を自然的公共、対して非自然的な公共とは人為的でありそれを維持するための組織(エージェント)が必要となる公共と置いた。例として国家・法(宗教)や社会契約、現代の管理通貨などである。これらは公共を提供するための中央主権的存在であるエージェントがいない場合には維持することが困難になる。税を徴収した場合、公共サービスを提供する国家とその組織がその役割を担当することが挙げられる。対して自然的公共である自然環境や言論にはそれを維持するための中央主権的エージェントは不要である。

上位の中央集権的なエージェントのある公共は、ここでは一時的にシステムと言い換えても良いと思うが、非中央集権的なブロックチェーンのような下位レイヤーの技術で実現できる、ということがブロックチェーン革命として喧伝されていることであり、活用方法として法の執行、投票、政府(Goverment-as-a-Service)、金融・会計、DAO(株式会社などの組織)、IoT等とその例は枚挙にいとまがない。これはつまり交換に際して人々が対象物(やサービス)の価値を対象としていたからでありブロックチェーンが価値交換のプロトコルとして機能するから、可能となると考える。[2]

1990年代以降、グローバリゼーションを通じて、世界的な「市場の失敗」「政府の失敗」が散見されることに対して、超国家的・脱国家的な組織・会社や活動が増加することは必然的な動きであった。東西冷戦体制が解体して以降、世界経済の市場経済による一元化が進み、資本・経営・資源・労働力などの自由流通と技術革新から、生産力は目覚ましく上昇したが、多国籍企業や金融自由化の結果と共にアジア通貨危機やサブプライム・ローンを発端とした金融危機、欧州の債務危機など様々な問題を連鎖的に引き起こしている(カジノ経済)。

また経済のグローバル化、世界的な自由化、様々な規制緩和などに伴って人々の意識自体のグローバル化も促進している。その領域としては『新・世界経済入門』に書かれるように人権や環境に対する意識である。人権面においては第二次世界大戦後、世界人権宣言が、1976年には国連の場で国際人権規約(A規約、B規約)が発効された。また環境保全についてはオゾン層破壊を防止するためのウィーン条約、気候変動枠組条約である京都議定書やパリ協定などの取り決めがあることは知るところである。[3]

東西冷戦体制時には「共産主義」と「新自由主義」という一元論的世界観であったことに対し、前述したグローバリゼーションと相まって、国家の枠組みとは別の多文化主義やイデオロギー的(〇〇主義、宗教)な価値観に基づく、国民国家といった概念を超えた脱国家的・超国家的な枠組みや動きが現れてきた。金融危機に対する超国家的な枠組みがブロックチェーンによるビットコインという非中央集権的なペイメントシステムであったのであり、超帝国主義的な画一化が発生すると同時に様々な分散化、水平協働型の仕組みや枠組みというものも出てきたのである。

多様化し分散化する社会においては、個々人を画一的な社会制度・国家や思考様式へと押しとどめておくことは困難を極める。橋爪論文では、公共的な問題領域が目に見えるかたちになった最初の証拠は税であるとしているが、大企業による租税回避問題やタックスヘイブンの問題は既に中央集権的なエージェントがそのある公共の領域を看守できないことを意味するように思える。本来は社会的に閉じたある系において個々人が共有していた「共同利害」を一致させるような仕組みであるはずのものが、もはや機能しなくなっているのではないだろうか。

ここで非自然的な公共というものと自然的な公共、例えば自然環境や言論、というものを対置させてみた際、中央集権的なエージェントの存在を持つかどうかがその違いであると前提していた。自然環境や言論は世界地理的に広がっており非中央集権的な枠組みであることに対して、国家(主権)や税、法律は常に執行者というエージェントが存在しており、中央主権的存在であるエージェントがいない場合にはそれらを維持することが困難になる。税を徴収した場合、公共サービスを提供する国家とその組織がその役割を担当することが挙げられる。

したがって重層的な社会の動きの中で現れてくる種々の問題は、非自然的な公共(システム)に必要となる中央集権的なエージェント、ひいては中央集権という観念に対する問題なのではないか。下部構造である自然・言論のようにその上部構造である社会システムを、下部構造と同様に、非中央集権的に作り替えることが様々な問題を緩和・解決するための「公共性の装置」の創出となるのではないかと考えた。そして私たちはビットコインに既にそれを垣間見ているのであるし、またブロックチェーンでの実装によって一部の問題は解決しつつあるのではないだろうか。

次に市場から資本制と歴史的に変遷していく中で見られる中央集権的なエージェントという視点を確認しそれが生まれる土壌を探ってみたい。

市場から資本制へ

近代の市場経済は古代の市場経済をベースとして私有財産制、分権化された経済主体、需給を均衡させるシステムによって成り立っている。古代の市場経済における市場とはある種族間や共同体間における物品の交換、簡易な市による売買という形態をとるものとする。マルクスがいうようにそれは種族間や共同体間で成立し得るもので、交換される財も一部に限られていたと考えられる。この原始的な市場から商品による商品の生産という過程を経て、労働力などありとあらゆるものを商品化しようとする制度が資本制(以降、資本主義)であった。[4]

共同体や種族間の物品の交換においては、各共同体や種族における貨幣や交換基準というものがない場合もあり、異なる共同体間・種族間においてもそのような一定の交換の取り決めはないはずである。そのため1袋の穀物と1房のぶどうというような物々交換も成り立つであろうし、金銀を持ち出したとしてもその貨幣としての評価が他方の共同体が予期するようなものではない可能性もある。これは資本主義における商品経済と比較してみると分かりやすいが、交換価値ではなくその使用価値において交換が行われている可能性が高いからである。

市場の初期状態ともいえる市場経済が近現代のような経済社会・資本主義へ発展していくには市場の拡大にともない複数の条件が必要であった、と経済学者のハイルブローナーは書いている。封建的社会が崩れ、君主制へ移行すると国民国家の精神の昂揚が起きると共に、経済的な取引を成り立たせるための諸制度である貨幣の統一、度量衡、法律などが整備されていった。周縁的な共同体間の取引であれば、共同体同士の一時的なやり取りで済むのだが、経済規模や取引が広域化するためには国家的な枠組みが必要であったといわれている。[5]

経済諸制度の国家的な整備は、規制や統制をももたらすものの、他方で広範囲な商業取引を解放し、経済保護を行うことで後の産業革命への下地を作っていくのである。ハイルブローナーはさらにプロテスタンティズムなどの宗教精神の変容、そして科学技術の産業への応用などを主な経済社会変化の要因として挙げている。国家間の貿易や競争が生まれるにつれて、国家経済の富を計測するための貨幣としての普遍性が確立し、産業資本の成立とともに貨幣が資本として機能するようになっていった。

貨幣は近代的な市場経済が登場するまでは、一般的な流通財ではなく、前述のとおり種族間や共同体間などの交換のための部分的な交換財でしかあり得なかったのであるが、国家間の対立や前産業社会の興隆によって、貨幣経済の拡大が起こると、貨幣や金銀を富の普遍的な量として使用するようになった。重商主義の時代である。重商主義の時代は、ヨーロッパ諸国の戦争の時代でもあり、国家の経済力と戦費の調達を行う国家財政を確立する必要にせまられていたときでもある。

この頃から生産的であるということの意味が、労働生産物を生み出すということから変化していく。貨幣で計測可能な富を増加させるための労働や資本が生産の源泉であり、使用価値としての労働生産物ではなく資本制商品経済による貨幣増殖への寄与こそ生産的であると考えられるようになっていった。『市民政府論』では自然状態の社会における土地や労働生産物は個人の労働の所産であり、所有であることに対して、貨幣による財産の蓄積と拡大という運動は、個人の生産や所有を超えて所有することを可能とし、自らの労働を離れた価値を余分に所有する権利を発現させたと説明されている。[6]

貨幣が発明され、貯蔵によって財産を増やすことが可能となると、人々は剰余に対して自らが所有する財以上の財産を貨幣によって蓄えられるようになった。共同体の中でもしくは家族ないで労働をしていたときには、「他人の権利を侵害する余地はなかった」のに、貨幣の登場によってこの調和は崩れてしまう。これを克服するためには所有を社会的に承認する必要が発生し、国家においては法がその所有権を規律するのである。つまり資本主義前夜における広域的な経済活動の拡大と、国民国家の興隆は不可分であり、それらの重層的な動きの中で市場経済から資本主義経済へと移行する流れを形成していったのだと考えられる。

そして第一次産業革命がイングランドをはじめ、ヨーロッパ各地に広まると、都市人口の拡大と、食料需要の増大をもたらした。土地の囲い込み運動によってヨーロッパでは土地は私有財産とし、労働力とともに市場で取引される経済的資源へと変化していった。マルクスが指摘するように土地と労働力が商品化されることで、私有財産制を中心とした市場経済への転換が完了したのである。日本においても江戸時代の封建的な時代から明治時代へ移ると、身分制の廃止や土地売買の自由化によって資本主義化が可能となっていった。[7]

市場経済や商品というものが古来の生活では副次的なものであったことに対して、この新しい経済体制は、商品による商品の生産から剰余価値を抽出し資本が自己増殖する運動が全てであり、貨幣価値(交換価値)の増殖を目的としていた。ここでは商品化と商品化における生産性の上昇が問題であり、使用価値や労働はそれに従属する奴隷となっていったのである。資本家となった者は財や土地を囲い込み、資本を稼働させることで利益を得ることが可能となった。歴史家のモーリス・ドップはこの変化を次のように指摘している。[8]

資本に対する生産の従属と、資本家と生産者の間におけるこの階級関係の登場は、旧来の生産様式と新たな生産様式を隔てる、決定的分水嶺と見なされるべきである — 『資本主義発展の研究』モーリス・ドップ

この資本の運動のなかでは、資本はかたちを変えた貨幣にすぎない。貨幣が資本に転化することによって、その資本が剰余価値を生み出しながら、貨幣が貨幣の増殖をとげていく経済が資本主義経済である。現代社会の病理であるスキル偏重、価値至上主義(交換価値における)はこのような資本へ従属する労働の包摂をもって正当化されていくのである。この世界観では市場が全てであって、個別的な人間性や具体的な事物の使用価値というものは脇へ追いやられもっぱら市場や貨幣的な価値が主題となっていった。

いまイノベーションによる生産性の向上や、グローバルサウスへの労働力の移転による剰余価値の収奪も行き詰まりを見せている。労働分配率を限りなく低くすること、イノベーションを促進する社会的システム、人材の非正規化や海外移転による安価な労働力の獲得はすべて剰余価値(マルクスによれば絶対的、相対的、特別剰余価値などがある)を捻出し資本主義を生き長らえさせるための方策に過ぎない。ジェレミー・リフキンは『限界費用ゼロ社会』の中で機械による生産が支配的になると生産・流通における限界費用がゼロへ近づくために、剰余価値は消失し所有権は意味を失うだろうと説いている。[9]

資本主義は、人間生活のあらゆる面を経済の舞台に上げるためにある。その舞台では、人間生活は商品と化し、財として市場で交換される。人間の営みのうち、この転換を免れたものは皆無に近い — ジェレミー・リフキン

さて情報化社会と携帯端末・スマートフォンは我々をさらなる剰余価値の創出に駆り立てている。スマートフォンを使用することで、端末を使用している間はあらゆる時間にデータという価値を提供し、我々は資本による剰余価値の増加運動に協力しているのだ。人は労働商品であることすら超えて、もはや資本のための死せる機械となっている。資本主義は実質的包摂だけでなく、人の思考の精神的包摂をも完了させたのだろうか。この精神的包摂の段階にあっては資本の運動のために働く労働は人でも機械でもよく、また純粋機械化経済下にあっては機械が生産の手段から、生産そのものへなっていくのだから、限界費用はゼロへ漸近し、最終的には剰余価値の収奪も困難となるだろう。

マルクス的な唯物史観によれば、資本主義は支配と被支配による階級闘争であったが、この資本主義が最終的な社会構成であり、大資本への一極集中、土地や労働の社会化などを経過して最終的には状況が終焉すると言われている、『この社会構成をもって、人間社会の前史は終わりを告げるのである』と。マルクスはこの資本主義が終わるところまでを人間社会の前史と捉え、そのあとに新たな人類の章が始まるのだ、と主張するわけであるが、その形態は支配と従属というような対立を止揚したところにあるジンテーゼなのかもしれない。

一般的な市場から資本制への変遷を見てきた。ここに収奪する支配者である資本とという主体と従属する客体である商品化された社会・労働という関係を発見できる。今回は例として市場と資本制を取り上げ、その変容と行き詰まりを見たが、ここに前提とされているのはこの支配と従属という関係性ではないだろうか。このような思考様式はどこから生成され、芽生えてきたのか、次章ではその源流をギリシャの哲学から探索してみようと思う。この形式が超歴史的なものではなく偶然に発見され採用されてきたものだ、ということを通じてこの思考様式が基礎となる観念を根底から疑うということを試みてみたい。

超自然的思考

美術史家のジョン・エルスナーとケント大学のロジャー・カーディナル教授による『蒐集』において、ヨーロッパの歴史とは蒐集の歴史であり、古代ローマ帝国の時代より、ヨーロッパはこの蒐集という活動を行ってきたと述べている。彼らの言葉にしたがえば、ヨーロッパ初の蒐集はノアの方舟であり、それ以来、中世キリスト教は魂を蒐集し、近代資本は商品化を通じて社会を蒐集してきたということが言えそうだ。つまり資本主義の興隆以前から既にヨーロッパでは戦争による領土の蒐集、宗教による思考の蒐集を行ってきたのであり、その行き着く先が資本主義による利潤の蒐集と社会の商品化であったと言えるだろう。[10]

このような蒐集による収奪の思考様式の根底にあると考えられるのが、古代ギリシャのプラトンを源流とした、超自然的思考の方法、またそれを参照しなが自然を死せる物質として見るような物質的自然観であったのではないかと考えることができる。プラトンは、現象的に見えているものはイデアの模像にすぎず、その形相はすべて材料(ヒュレー)から作られると見た。超自然的思考とはすべての存在である全体を捉えたときに、それら全体を看守するような立場から存在を問うような思考のことであり、プラトン以降の西洋の文化圏に生まれた特異な存在に対するものの見方である。これは一般的に哲学と呼ばれ、以降西洋の思想および文化形成の軸となってきた。

木田 元は著書の中で、ソクラテス・プラトン以前の思想家たちは、万物を自然と見る自然観を持ちプラトン以降、20世紀まで受け継がれるような超自然的な原理は持ち合わせていなかったと記述している。自然(フュシス)という言葉が「なる」「生える」「生成する」という意味のフェスタイという動詞から派生することから、古代ギリシャの人々は自然を自ら成り出でたもの、生成し消滅するものとして捉えていたことがわかる。ハイデガーは『ナトルプ報告』の中で、アリストテレスにおいては”あること”が既に”作られてあること”だと見なされるようになっていることを指摘し、その時代における存在概念の転換を述べていた。[11]

一度プラトンがイデアという超自然的な原理を設定すると、自然はその原理に基づいて形成される材料・質量と見なされるようになり、アリストテレスで純粋形相への運動として、カントにおける理性による認識対象として、またはヘーゲルにおいては精神によって形成されるものとして引き継がれていくことになる。この超自然的な存在論がプラトンの「国家」の考え方の基礎にもなっており、またキリスト教神学においては世界創造神として重ね合わされたことを見ると、超自然的な存在論が国家・宗教や会社組織が作られるような秩序を定めていくところの基礎的な考え方になっていると考えることができる。

プラトンがどのようにしてこの超自然的思考へたどり着いたかは分からないが、イデアや純粋形相の考えには、唯一神への信仰を導入するような部分があり、プラトンがソクラテスの刑死のあとに旅したユダヤ人の居住区であったキュレネやピュタゴラス教団の地においてその思想の形成および整理をした可能性があると考えられる。プラトン哲学やアリストテレス哲学はその後、古代末期になりキリスト教の教義体系を構築するための下敷として使用された。新プラトン主義を経由したプラトン哲学からキリスト教の教義体系を組織したのがアウグスティヌスであり、6世紀にローマ・カトリック教会の正統教義として採用されてから、13世紀まで正統教義として機能し続けることになる。

その後、超自然的思考はデカルトにおける理性主義では、神的理性に担保された理性の部分が存在の認識を可能とすることで、啓蒙理性主義の時代においては、カントが人間が生得的に持つ理性的機能が現象界においては妥当であるということを通して人間理性がその役割を負うことができると考えられるようになっていくのである。カントはこの超自然的原理の役割を果たす人間理性を「超越論的主観性」と呼んでいるが、この言葉はプラトンが国家篇の中で持ち出した「存在を超えて」という表現が元となっている。プラトンの超自然的思考が地続きとなり、ヘーゲルの歴史的世界を形成していく絶対精神の哲学として近代的に更新されていくことで超自然的思考様式が完成したのである。

ヘーゲルが没した1830年は、イギリス産業革命のときであり、科学技術を基礎とした工業化や土地の囲い込みによる資本制経済の進行が見られる時期であったが、これらがヨーロッパの文化形成を行ってきた自然を死せる物質としてみるような超自然的思考が端緒であったのは間違いないのではないか。そしてハイデガーがノルマンディーでの講演の中で「西洋の歴史の内的歩みが哲学的だということは、この歴史の歩みから諸科学が発展してきたことによって証言される」といったとき、超自然的思考すなわちギリシャに生まれた哲学という知の総体がヨーロッパ文化・社会を形成してきたということが明らかにされるのである。

超自然的思考によって存在者が何であるかと問うこと、これ自体が哲学的な問いなのだと、ハイデガーは言う。存在者全体に対して存在を問うとき、これを問うものは問いかけられる存在の全体の外からの視点を持ち、特権的な位置から俯瞰しているからだというのである。宗教、国家や科学と工業のヨーロッパにおける発展は、この特権的で超自然的な位置からの収奪と蒐集の結果にほかならず、古代ギリシャで根源的自然観から超自然的な思考様式へと転換したところからその歴史が始まっていると考えられる。

19世紀~20世紀の哲学者が、マルクスが古典経済学を批判し経済批判を行ったように、この超自然的思考が生まれる前の根源的自然観を復権することでこの行き詰まりの危機を打開しようとした。ニーチェ以降の哲学は、それまで西洋が培ってきた文化・社会を相対化し乗り越えようとしたという共通項があり、アンチフィロソフィ(反哲学)という視点を無視することができなくなった。ここでこの反哲学に深く入ってゆくわけにはいかないが、その後のポストモダンと呼ばれる構造主義・ポスト構造主義なども西洋の世界認識を批判し解体しようという動きに他ならない。

さてここまで超自然的な思考様式とその発展、そのことがヨーロッパの文化や社会の深く結びつき、蒐集というコンセプトが収奪を可能とすることで、現代資本主義や現代思想へ繋がってくるという世界線を見てきたつもりである。そこで今度は時間を遡って、プラトンが超自然的な思考を設定する以前、つまり存在するものの全体を問うような存在をおかず、万物がおのずから生成し消滅するような自然観、自然的な存在観念を再考することでどのような社会が形成される(された)のかを見てみたい。

仮にこれまでの社会における社会概念・存在概念が超自然的な思考を基礎とすることで成り立っているとするならば、この前提が覆った場合にどのような上部構造としての社会やシステムが成り立つのか、ということを問うことにする。そして前章で記述した自然や言論というものを下部の公共性として見た場合に、その上部構造はどのように作り替えられるのか、また超自然的な思考が中央集権をもたらしたのだとすれば、生成・消滅する自然という存在概念と非中央集権的なブロックチェーンはどのように結びつけられ得るのか、ということを検討していきたい。

Reference

  • [1] ブロックチェーン ~その公共性とイソノミアへの導入~
  • [2] ドン・タプスコット、アレックス・タプスコット — 『ブロックチェーンレボリューション』
  • [3] 西川潤 — 『新・世界経済入門』
  • [4] カール・マルクス — 『資本論』向坂逸郎訳
  • [5] ロバート・ハイルブローナー — 『経済社会の形成』
  • [6] ジョン・ロック — 『市民政府論』鵜飼信正訳
  • [7] Yuya Sugano — 『極度破砕する経済
  • [8] モーリス・ドップ — 『資本主義発展の研究 一・二』京大近代史研究会訳
  • [9] ジェレミー・リフキン — 『限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭』
  • [10] ジョン・エルスナー、ロジャー・カーディナル — 『蒐集
  • [11] 木田元 — 『反哲学入門』

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Yuya Sugano

Cloud Architect and Blockchain Enthusiast, techflare.blog, Vinyl DJ, Backpacker. ブロックチェーン・クラウド(AWS/Azure)関連の記事をパブリッシュ。バックパッカーとしてユーラシア大陸を陸路横断するなど旅が趣味。