ブロックチェーン ~公共性からイソノミアへ 後~

Yuya Sugano
Sep 29, 2021

前ではヨーロッパ社会文化形成における蒐集と資本主義による収奪の前提となる超自然的な思考の説明まで。本章においてはさらに歴史を遡って、根源的自然観を持つイオニアの思想家とイソノミアについて触れる。ブロックチェーンとイソノミア(無支配)の復権について。

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前章からの続き

自然(フュシス)という言葉が「なる」「生える」「生成する」という意味のフェスタイという動詞から派生することから、古代ギリシャの人々は自然を自ら成り出でたもの、生成し消滅するものとして捉えていたことを前章で述べた。哲学とは一般的に存在とは何か、ということに対する問いであるといえるがプラトン・アリストテレス以降、この成り出でる根源的自然観から自然は事物を形成している材料・質量にすぎないという超自然的な原理が設定される。そして超自然的思考様式がデカルト、カントからヘーゲルへと近代的に更新されていくことで次第に完成され、ハイデガーがいうように「形而上学が技術として猛威をふるいはじめる」ようになったのである。

とすれば近代ヨーロッパにおける科学や技術の発達と融合、そして産業革命も、哲学と呼ばれる特殊な思考様式を形成原理としてきた西洋社会の必然的な帰結であるといえるのではないだろうか。そしてマルクスが古典経済学を批判し経済批判を行ったように、ニーチェはこの超自然的思考が生まれる前の根源的自然観を復権することで従来の哲学を批判し克服しようとしていた。「キリスト教は民衆のプラトニズムである」と彼はいうが、哲学(プラトニズム)を批判することで、それと一体となって展開されてきた西洋の社会・文化形成と背後にある哲学・道徳・宗教を相対化し乗り越えようとしたのである。[1]

現代哲学は少なからず、このニーチェの西洋文化形成に対するニヒリズムに影響を受けている、もしくはさらにそれを乗り越えようと批判したところから生まれてきたものであると考えられている。ハイデガーはその思想的営為をもはや哲学と呼ばず、「存在の回想」つまり覆い隠され失われた原初の存在の回想と呼んでおり、メルロ=ポンティも晩年には「反哲学」を提唱していた。この時代からさらに、ソシュール言語学を端緒とする構造主義・記号論による関係論への転回や、ポスト構造主義における認識批判など私たちの知る現代思想へと繋がっていくのである。

超自然的な思考とは、すべての存在である全体を捉えたときに、それら全体を看守するような立場から存在を問うような思考のことであるが、古代ギリシャにおける、この存在論の転倒は超歴史的なものではなく歴史的に偶然展開したものにすぎなかったということができるだろう。人間の観念、思想、倫理、価値原理などは、ある時代状況における人間の「生存」を保証するための手段として生成するという『知についてのエコロジカルな理解』を採用すれば、このような超自然的思考は現代まで続く人類生存の一助ではあったものの、その行き詰まりが思想の面からまず問われ、実際に経済の面からも露呈するにつれていま現在は無効化しつつある、ということではないだろうか。[2]

超自然的な原理を立て、自然を死せる材料とみた反自然的に対置していた、古代の自然的思考を復権することで、下部構造としておいた自然や言論の上部にどのような社会・公共が構築されうるのか、そして自然的思考における生成・消滅する自然という存在概念と非中央集権的なブロックチェーンはどのように結びつけられ得るのかということを検討してみたい。また価値交換における利害を一致させるために中央集権的なエージェントが必要であったならば、非中央集権的に法や国家、様々な社会合意システムを改変できるのであろうか、相互的な社会像の編み変えの契機を得られるのであろうかという点は考慮に値するのではないだろうか。

生成する自然

哲学史の叙述はソクラテス、プラトンやアリストテレスから始まるのではない。紀元前6世紀ごろに活躍したタレス、アナクシマンドロスからはじめられ、この年代の思想家たちをプラトン以降と同様の言葉である”哲学”者と呼ぶわけにはいかないので(哲学というのは古代ギリシャに起こった超自然的な思考をもつ存在論であり、当時はかなり特異なものの見方であった)、ドイツの哲学史家はこの思想家たちを「フォアゾクラティカー」と呼んでいた。フォアゾクラティカーとはドイツ語でソクラテス以前の人たちという意味である。

フォアゾクラティカーには、タレスだけでなくピュタゴラス、パルニメデスなど様々な思想家が広範囲に含まれるが、共通していえることは彼らがギリシャ本土の出身ではなくギリシャ本土よりも文化的に先進していたイオニア地方やマグナ・グレキア(イタリア南部・シチリア島)の出身であったことが挙げられる。またソクラテスと対峙したアテナイのソフィストたちは、もともとはペルシア戦争の結果衰微したこれらの地方から亡命してきた知識人たちであった。彼らは因襲的なものの考え方を脱した普遍的教養を身につけ、当初は啓蒙的な役割を果たしていたが、次第に弁論術や詭弁術を教えることで生計をたてるようになっていったという。

これらの思想家は自然(フュシス)を自ら成り出でたもの、生成し消滅するものと捉え『自然について』という題で本を書いたと伝承されている。さてここで注意されたいのは、この”自然”とは私たちが一般的に使う環境的な自然(草木など)の存在領域のことではないということである。このような物質的な自然観は超自然的思考から出てきたものであるが、この原理を設定したのは、プラトン・アリストテレスの線からであり、イオニア、マグナ・グレキアの思想家が問うていたのは存在の本性としての自然、ありとあらゆる存在者、存在者の真の存在という古い根源的な意味での自然なのであった。

この点については木田 元の『反哲学史』ではこの”自然”について以下のように説明されている。「この自然という言葉は、存在者の特定領域を指すのではなく、事物一般の本来あるべきあり方を意味しています。この意味は広辞苑では、おのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性、本性、性質と定義されています」「フュシスとはもともとは、存在者のある限られた領域を指すのではなく、一切の存在者 — いわいる自然的存在者も、精神的なもの、歴史的・社会的なものも含めた一切の存在者 — の本性、その真の在り方を意味していたのです。」[3]

そしてこのおのずから生成・消滅する自然として考えられていたものが、プラトン・アリストテレスにおいては外部的な物質自然とみなされ、超自然的な思考様式とあわさって、死せる材料としての自然という存在観念へ転回してきたのであった。思考の飛躍を許すならば、死せる機械としての労働すなわち人間という資本主義における資本と労働の図式もほぼこの古代ギリシャに生まれた思考様式が基礎となっているのである。プラトンの超自然的な思考は、当時のギリシャではかなり異質なものであったらしく異国風(エクトポーテロス)であったとさえ言われている。

この”自然”(フュシス)という語ははローマ人がnatura(同様に生まれる、生ずるという意味)と訳し、それが英語のnature(自然)としていま現在は使用されている。ローマ人にとってもこのフュシスという語は当初「生成」という響きを持っていたことは間違いないだろう。アリストテレスは、この根源的な自然観について、ta physei onta「自然によって存在するもの」と定義し、それは「運動(生成・消滅)の原因を自己自身のうちに内蔵している存在者」のことだと言っている。つまりプラトンの超自然的な自然観とは異なり、存在するものはすべて、この自ら生成・消滅する原因であり結果でもあるような存在者であるとみていたこととなる。

自然(フュシス)とは、昼夜の交替、四季の移りかわり、天体の運動、海の浪のうねり、植物の生長枯衰、動物の生誕や死滅といったすべての自然的運動を支配している原理であり、人間の社会や国家も、そして神々でさえもが同じ原理によって支配されているように思われたのでしょう。 — 『反哲学史』木田 元

この生成消滅する自然的運動といっても、混沌とした無秩序な動きというわけではなく、存在者に内在する運動の原理によってなされていたと考えられた。そのような秩序を、たとえばヘラクレイトスはロゴスと呼ぶが、これは荒唐無稽な想像というわけではなく、ベルギーの化学者であるイリヤ・プリゴジンの非平衡熱力学の議論にも見られる、自己組織化の議論へも通ずる現象と考えられる。この自己組織化は自然そのものの中に既に秩序を形成する可能性があり、それによって生命や人間などの存在が生成していったと考えられる、一元論的な世界観を持つものである。[2]

このような自己生成的な自然観の復興は、いたるところで取り上げられており、ことさら強調するまでもないのだが、このような思想の巻き戻しが発生する背景には時代からの社会に対する要請が、思考として方々に滲み出てきていると言わざるを得ないのではないか。そしてブロックチェーン的観点からは、この生成するという点にブロックの生成を、ロゴスにスマートコントラクトなど埋め込まれた法や通貨という部分を重ね合わせると、この生成する自然観とブロックチェーンの持つ一元的な非中央集権性というものが相似な性質として浮き出てくるのである。

イオニアでは自然から逸脱した存在はノモス(慣習・約束事・法)と呼ばれ、人為的にのみ存在している仮象にすぎないとされ、ノモスもフュシス的な自然観のもとに包括されるべきと言われていた。ところがソフィストの時代になると、自然的存在論はわきに追いやられ、彼らは専らノモス的で人為的なもの(弁論術・詭弁術)に注力するようになった。ここでヘラクレイトスが、「ロゴスは公共のものであるのに、たいていの者どもは各自の思惑をもっているかのように生きている」というとき非中央集権な性質を持つブロックチェーンの存在が生成する根源的自然観と接合され、ノモス的なものを達成する下部の公共として活用し得ることが確認されるのである。

イソノミア

紀元前6世紀ごろに活躍したフォアゾクラティカーたちと時を同じくして、エゼキエルなどの預言者、インドではブッダやマハーヴィーラ、中国には諸子百家など数多くの思想家が誕生していたことは有名である。既にみてきた通りプラトン・アリストテレス以前の自然的な存在論は、ギリシャではなくその時代に先進的であったイオニア地方出身の思想家によるものであった。その後にアテネで発生する哲学は、このイオニアの思想を相対化し、乗り越えようとする試みの中で生まれてきたものである。このイオニア由来の思想をイオニア自然哲学ともいうが、ここではその根源的な自然観をともなったイオニア地方の在りようを振り返ることで、根源的自然観の基礎となる社会について見てみたい。

当時イオニアはその文化的・社会的な要因によって先進的であったと言われている。ギリシャの民主政の要因として挙げられる、フェニキア文字のアルファベットへの改良や、国家官僚による価格統制を行わず市場原理へ任せたこと、血縁的な伝統を超えた各人の自主的な選択によって成り立つポリスの原理などが挙げられる。ギリシャの自律的なポリスの在りようは、はじめイオニアの植民都市によって起こり、それが派生してギリシャ本土のポリスへと広がったとみられている。ギリシャのアテネやスパルタのようなポリスでは氏族社会的な伝統が濃厚に残っていたが、アジア的な専制国家の道を通らなかった。柄谷行人は、その理由を彼らが専制国家を拒む原理を保持していたからだと説明する。[4]

それがイオニアから来たイソノミアの観念である。

イソノミアとはイオニアで使用される政体に与えられる名称であり、支配のない自由で平等な社会の形態である。ハンナ・アーレントによるとイソノミア(無支配)は、ギリシャの都市国家(ポリス)の出現と同時に生まれたという。市民が支配者と被支配者に分化せず、無支配関係のものに成り立っているような統治形態で、支配の観念(君主制『monarchy』、寡頭政『oligarchi』、民主制『democracy』)がまったく欠けていることが特徴であった、つまりno-crachy=イソノミアである。アテネに誕生した民主政(デモスによる支配)は当時多数支配、多数者の支配を意味する言葉であったが、もともとイソノミアに反対していた人々によって作られた政治形態であった。[4]

このイソノミアにおいて人々は伝統的な支配関係から自由であり、そこでは自由なだけでなく経済的な平等も達成されていたといわれる。対してアテネのデモクラシーでは多くの市民が債務奴隷となり、多数の貧困者層が国家権力をつうじて少数の富裕者から富の再配分を行うシステムが作り出されていた。アリストテレスは民主制についてこういっている。『民主制においては貧乏な人々が富裕な人々より有力になる、というのは、彼らはより多数であるが、このより多数の者が決定したことが最高の権威を持つからである』つまり、民主制は平等でなく多数者支配の原則を有しているのである。

この点からアテネは現代の自由・民主主義的な国家のようであり、抱える問題も自由・民主イデオロギー下の資本主義における問題に似通っている。アテネは市場経済を認め、言論の自由を認めていたが、不平等や階級対立の問題が強く存在していた。既に述べたとおり富の再配分によって不平等を是正すると言う点においてもいま現代において直面している資本主義の問題と基本的な構造は同じである。対してイソノミアは自由であることがそのまま平等へ繋がるような社会であり、イオニアでは貨幣経済が発達していたにも関わらず貧富の差はなかったという。その理由を詳しくみていこう。

まずイソノミアはなぜイオニアに始まったのか。その理由を柄谷行人はこう説明している。「そこでは植民者たちがそれまでの氏族・部族的な伝統を一度切断し、それまでの拘束や特権を放棄して、新たな盟約共同体を創設したからである。アテネやスパルタのようなポリスは氏族の盟約連合体として形成されたため、旧来の氏族的伝統を濃厚に留めたままであった。それがポリスの中の不平等、あるいは階級対立として残ったのである。そのような所でイソノミアを実現しようとすれば、デモクラシー、すなわち、多数決原理による支配しかない。」[5]

イオニア地方では、氏族社会的な拘束や特権から離れた植民者たちによってポリスが形成されていたことが、イソノミアという特殊な無支配の社会形態をもたらした。イソノミアでは、個人がそこに生まれたというだけで、その贈与に対して報いなければならないような互酬原理から切り離されており、血縁的な氏族社会に見られる階級対立や不平等、それを解消するための再分配というシステムはなかったという。人々は血縁的なつながりや拘束から自由であった。その要因となったのはイオニアにおける植民の力学と遊動であった。

イオニアでは植民者が新たに形成する共同体は、それ以前のポリスや氏族から独立していた。通常、植民に際しては氏族社会的な繋がりを元とするため、ポリスをそれぞれ独立、拮抗させるよりはポリスの拡大競争を促し、最終的にはアジア的な専制国家となる傾向がある。事実、イタリアではローマ市が勝利し帝国を築いていた。人類学者のテスタールによれば、氏族社会に内在する不平等・階級対立と搾取を回避するために集団の分裂が発生し、植民を行っていくことで遊動性と平等が回復されていくという。紀元前10世紀から8世紀までギリシャでは活発な植民が行われたが、これがイオニアをきっかけとしてアテネなど他のポリスへも波及していき、この植民の連続が、氏族社会の伝統を無効化したのである。

氏族社会における植民では、その血縁関係によって他方が従属的となり結果として、ポリスの拡大を招いてしまう。他方この氏族社会の伝統を無効化するような植民では、氏族社会や血縁関係の伝統から切り離され自由であり、ポリスへの参加は自発的なものであった。植民者は血縁関係や伝統的な互酬原理ではなく盟約(社会契約)によってポリスへ参加しており、それら植民者から成るポリスは互いに競争しながらも緩やかな連合体を形成していった。貨幣経済が進んだことによって階級分解が発生し、アテネではデモスによる民主化へ、スパルタでは貨幣廃止によるコミュニズムへと進展するのだが、イオニアでは貨幣労働がなく私的な生産や交易が主であったため不平等や支配=被支配は生じなかったという。

柄谷行人は同著で、イオニアに独立自営農民が主で大土地所有者がいなかったために、賃金労働がなかったこと、アテネやスパルタと異なり奴隷制生産がなかったこと、またその交易が国家的ではなく私的交易であったことから格差の広がりや階級分解に至らなかったと分析している。土地の囲い込みがなければ、資本主義の誕生期のように無産者は生じないし、また奴隷や大規模な遠隔地貿易は国家による独占と税制による支配=被支配関係を発生させる可能性がある。イソノミアでは、そのような不平等や支配=被支配が発生する要素が少なかったことと、発生する前にその遊動性によって新たなポリスへその盟約(社会契約)によって移ることができるため、自由でありかつ平等であるという性質を維持できたのである。

無限定なもの

さてそれではイソノミアのような無支配の社会が生成してくる場から、イオニア自然哲学的な思想が生まれてくることへの関連は何だろうか。アテネで見られたような奴隷制による生産、貧民の増加と外国人からの課税などはすべて支配=被支配の関係であり、まさしく超自然的思考を導入するような部分があるが、イソノミアにおいては遊動と自由が、平等へと繋がるような仕組みとなっており、それが自然哲学における物質の自己運動と生成の概念へと連動している。各個人が盟約(社会契約)をもとにポリスを選択できること、支配=被支配がなく自由であること、賃労働や奴隷制がないことは自然(フュシス)の原理に沿っており、それらに反さないことがそのままイソノミアを達成する要件となっているのだ。

自己運動し自ら生成する自然(フュシス)という概念は世界生成の神話にその始まりを見ることができる。これはカオスから世界が生成されたと詩作したヘシオドスの『神統記』などに見られ、カオスからガイアやクロノスなど自然的な統治部が先んじて生成され、人間的社会よりそれらが上位におかれていることからも分かる。丸山真男の『歴史意識の<古層>』という論文では、どの民族にも万物の成り立ちを説明する創世神話は、「なる」「うむ」「つくる」のいずれかに分類されると言っているが、ギリシャ神話は「なる」という植物的生成モデルによって成り立っており、対照的にユダヤ・キリスト教など超自然的な神が世界を創造したと設定するものは「つくる」論理によって成り立っているといえる。

そしてイオニアの自然哲学者はこの世界を生成してくるカオスであるところの根源的な生成する要素を始原物質(アルケー)として問い始め、アナクシマンドロスは始原物質を「無限定なもの」であると考えていた。自然哲学ではタレスが万物の祖として水を見るなど様々なアルケーへの問いがあるが、基本的にすべておのずから生成し自己運動することで万物へと流転するという点では一致している。仮に物質の自己運動を否定するならば、物質から運動の機能を切り離して考えなければならない。つまり物質は外部からの運動の力を起こすエージェント(主体)によって変化させる必要があるという考えである。この思想はそのままプラトンやアリストテレスの超自然的思考へと繋がるものであることは明らかである。

法や税は国家の組織(エージェント)によって執行され、利害の一致を取り計らうものであるということを述べたが、運動の力を起こすエージェントとはまさにこの超自然的な立場であるところの主体であり、非自然的公共と定義したものはおしなべてノモス(慣習・約束事・法)的であると考えられ、自然ではなく仮象であると見なすことができるのである。自ら生成・運動する自然観とブロックチェーンのアーキテクチャ、ロゴスによる法・秩序は公的な領域を、仮象の相対的世界であるノモスによって成立させるのではなく、フュシスの段階において実現することを可能とし、また上部構造であった国家や法といったものを下部構造から乗り越えるような意味をもつのではないだろうか。

ここに生成・消滅する自然として、超国家的・脱国家的な枠組みによって既存の文化・社会制度を相対的に乗り越えようとする端緒を見ることができるのである。それは理想的にはイソノミアのような自由・平等をもたらすシステムの可能性があり、遊動性によって人々へ多くの選択肢を与えるものとなるはずである。この可能性がビットコインやブロックチェーンアプリには自然内在しているのであり、人々はいわば既存の国家という枠組みからブロックチェーン経済圏・生活圏へ遊動し植民していると見て取ることもできると思われるのである。例えば自国がエルサルバドルのように法定通貨=ビットコインとなった状態を想像してみてほしい。

イオニアでは盟約(社会契約)によって、血縁や氏族社会による互酬原理が乗り越えられていた。ノモスをロゴスへ従わせること、つまり非中央集権的に社会システムを構築し得ること、生成する一元的なステートを管理するブロックチェーンがあること、そこへスマートコントラクトによる法を埋め込めること、これらによって根源的な自然観とみなされる下部の自然的公共であるブロックチェーンによって、上部の非自然的と定義した公共性の装置を、いまは超自然的思考を介在することなく達成できるのではないかと考えるのである。そしてこのブロックチェーンの技術で達成しうる新たな社会様式と人々の思考様式は古代ギリシャで途絶えた無支配な社会形態であるイソノミアに相似したものとなるのではないだろうか。

Reference

  • [1] 木田元 — 『反哲学入門』新潮文庫
  • [2] 広井良典 — 『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』岩波新書
  • [3] 木田元 — 『反哲学史』講談社学術文庫
  • [4] ハンナ・アーレント — 『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫
  • [5] 柄谷行人 — 『哲学の起源』岩波現代文庫

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Yuya Sugano

Cloud Architect and Blockchain Enthusiast, techflare.blog, Vinyl DJ, Backpacker. ブロックチェーン・クラウド(AWS/Azure)関連の記事をパブリッシュ。バックパッカーとしてユーラシア大陸を陸路横断するなど旅が趣味。