ブロックチェーン ~その公共性とイソノミアへの導入~

Yuya Sugano
Sep 5, 2021

イソノミアへの導入部で公共性についての走り書き。ブロックチェーンの特性から見る公共への適用と、抽象化する高次の公共編み変えの動機について。公共性の装置としてのブロックチェーン活用の可能性。TBD: スマートコントラクト、DAO(Decentralized Autonomous Organization)

Image by Jo Wiggijo from Pixabay

前書き

資本主義の終焉が叫ばれて久しい。

経済成長という餌を追い求めていまだ資本主義は息をしている。『資本主義の終焉と歴史の危機』において、いま現在は、歴史家フェルナン・ブローデルが「長い十六世紀」と呼んだ転換期へ匹敵するような時期であるといわれている。なぜなら各国の短期金利は0%近く、この金利の低下イコール資本利潤率の低下であることが理由である。資本を投下しそこから利潤を得て資本を増殖させることが資本主義の性質であり、資本の増加が見込めないということは資本家や投資家が資本を投下する必要性がない、つまり資本主義が機能しないということになるからだ。

シドニー・ホーマーとリチャード・シラーによる「金利の歴史」は、紀元前3000年のシュメール王国から現在に至るまでの世界の金利が記されている。現代の世界各国は、十七世紀初頭のイタリア・ジェノヴァにおける低金利の状態に次ぐ異常な低金利状態であり、水野和夫が「資本主義の終焉と歴史の危機」で呼ぶように、現在はまさに第二の「利子率革命」のときであると言えるだろう。十三世紀に利子率がローマ教会によって公認された以来の大きな出来事であるとも書かれている。[1]

同著では利潤率の低下がいつごろ始まったかについても触れており、1970年代のオイルショックにより、エネルギーコスト・資源価格の高騰が発生、さらにグローバリゼーションによって地理的・空間的な拡張がこれ以上は難しくなったことに起因すると述べられている。このことは交易条件の悪化や空間の拡大の困難さから説明されている。アメリカはサイバー・金融空間へと舵をきることで利潤の機会を発見し、資本主義の延命に成功した。地球上での空間開発が限界であることから宇宙空間への空間的開発も主要先進国は目指しているように見える。

これらのサイバー・金融空間への拡張、宇宙空間への地理的拡張は資本主義を延命させるための装置であると考えられるだろう。つまり技術革新と開発の手綱を緩めず資本主義・国際競争社会を継続し開発の範囲を拡張していくということである。そしてこれは、既得権益層である資本主義陣営が推し進める世界の在りようであり、人々の望む望まないにかかわらず動きを停止させることは困難であるように思う。アメリカの数字ではあるが、1985年ごろのアメリカの全産業利益における金融業のシェアは9.6%に過ぎなかったものが、2002年には30.9%にまで上昇している。

アメリカが主として展開したサイバー・金融空間の拡張において、資本は国境を越え世界を駆け巡るようになった。金融のグローバル化がこの要因だが、1980年代後半以降、各国で資本取引の規制が緩和されるようになったことが理由として挙げられる。デリバティブの登場(ブラック=ショールズ・モデルの理論発表が1973年)や様々な高度証券化商品(モーゲージ担保証券、資産担保証券、不動産投資信託)など以降多くの金融商品が開発されていったのもこの時期であった。1933年のグラス・スティーガル法による銀行業務と証券業務の分離は、1999年のグラム=リーチ=ブライリー法によって大幅に緩和されている。後ほどみるがローンの証券化によってサブプライム・ローンを組成するためのモーゲージ担保証券(MBS)やMBSを含めて再証券化した債務担保証券(CDO)が開発されていった。

Money is information on the move

「マネーとは動きまわっている情報である」とは1980年半ば、アメリカの最大手銀行持ち株会社のトップが使っていた言葉である。現代の管理通貨制においては、金との兌換が保証された時代とは異なり、貨幣は実体的な根拠を持たない。ほぼ全ての金融資産は預金も含め、金融機関で処理されるデータであり、それらは現在では国家や法律が経済的価値を認めるところの債権(請求権)であると考えることができる。日本円(日本銀行券)は日本国・日本銀行に対する債権であると見なす必要がある。

第二次世界大戦後の貨幣システムは金ドル為替本位制であったが、アメリカ以外の周辺国は、金の代わりに金にリンクした米ドルを保有することで間接的に金とのかかわりを維持した。このブレトンウッズ体制は1971年のニクソン・ショックによる金ドルの交換停止によって崩壊し、各国は管理通貨制へと移行していった。ブレトンウッズ体制の崩壊、80年代の金融のグローバル化と金融商品の開発、先進国の金融緩和など非伝統的金融政策によって金融資産の拡大が続いていった。[2]

地理的・空間的な拡張である実物経済の停滞下において、金融資産の拡大はたびたび金融バブルを起こしてきた。金融バブルは極限どこかで限界に突き当たり弾けるのだが、その破裂が実経済や金融経済面での壊滅的な破壊を必ずしももたらすわけではない、この理由は公的資金の注入という国家による救済が行われるためである。このような公的資金による救済はベイルアウトと呼ばれている。サブプライムを発端とした金融危機はベイルアウトによる救済の連続であった。

2007年には、サブプライムという低所得者向けのローンによる金融不安が発生し、イギリスのノーザン・ロック銀行で取り付け騒ぎが発生した。これが世界的な金融危機へ繋がるリーマン・ブラザーズの破綻へと発展する。FRBは2008年から2011年にかけて二次の量的緩和策(QE1/QE2)を取り、1次では1.6兆ドル、2次では6000億ドルもの資金供給を行った。また金融のグローバル化に伴い通貨危機も幾たびも発生している。1997年タイから始まったアジア通貨危機、1998年のロシア、1999年のブラジルなどの例である。これらの通貨危機は本質的に固定相場制を採用していたことで、大量の資本が流入にしていたことに起因する点で2000年以降の世界的な金融・経済危機とは異なっている。

2007年のサブプライムローンだけでなく、2009年に発覚した財政赤字によるギリシャの金融危機(2018年6月に金融支援から脱却)やイギリスのEU離脱(Brexit)など近年は先進国・西側諸国から国際的な金融危機の広まる可能性が高まっている。サイバー・金融空間による金融資産の累積・増殖は金融危機を経過しながらも、金融緩和政策などによっていまだに増え続けている。※世界全体の金融資産の累積は2005年の178兆ドルから294兆ドルに増加 [Deutsche Bank, Sanjeev Sanyal 2015]

現代の管理通貨制においては、新自由主義の考えに基づき、規制を緩和し、市場機能の発揮される領域を広げてきたはずにもかかわらず逆に市場の自浄作用が働かずモラルハザードを起こしてきた。リーマン・ショックと続く欧州危機によって、個別の金融機関の健全性だけを監視しても金融システム全体の安定が脅かされうることが認識され、金融システム全体の健全性を維持する規制(マクロプルーデンス)が検討されるようになった。また「ノーカット運動」という政府による救済ではなく、多国籍企業からの微税を社会保障の財源とする市民運動も欧州を中心に広まっていることも象徴的である。

さて、そのリーマン・ショックの金融危機のさなかに登場したのがビットコインであった。ビットコインのジェネシスブロックの余白には2009年の銀行救済についての記事の文字が刻まれていることは有名である。これは同日の英国の全国紙『ザ・タイムズ』の1面トップ記事の見出しである。英国や米国が破綻の危機にさらされた主要金融機関を公的資金によって救済する、そのような「Too-big-to-fail」(ベイルアウト)に対する強いメッセージがビットコインには含まれているのだ。

The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks(『ザ・タイムズ』2009年1月3日、英財務相、銀行に2度目の財政援助へ)

2008年10月に公開されたビットコインの論文は「ブロックチェーン技術を使った中央管理者のいない決済システム」と題され、ビットコインが同意している二者が信頼できる第三者を必要とせず、直接取引が可能な、トラストの代わりに暗号的証明に依拠する支払いシステムであると説明する。銀行のような第三者を必要とせず取引可能で、公開された分散型台帳にやり取りが記録されるペイメントシステムである。

Satoshiが注意深く設定した世界の境界線』で述べられているとおりビットコインのシステムは外部の中央集権的な取引所での法定通貨との交換や決済については想定していない。つまりビットコインの世界内でビットコインによる支払いを行う場合に限り、非中央集権的でトラストレスな二者間の支払いが可能となるということを提案しているだけである。中央集権な交換所を通して実物のアセットと交換するにはまだ多少のリスクがあるが、本質的には国家の管理や特定の主体の信用からは切り離された分散型の支払い手段として機能していると言えるだろう。[3]

つまりビットコインで閉じた世界であれば二者間の二重払いを防ぐ取引が可能であるが、この外の世界、交換所や販売所そして決済については言及されていないということだ。エルサルバドルがビットコインを法定通貨(リーガルテンダー)として採用することを進めているが、ビットコインだけで税金等も含む様々な経済活動が成り立つのであればSatoshiペーパーによって表現されるトラストレスな世界に近づいていくかもしれない。そしてそのような世界は少しずつ実現しつつある。

通貨の発行、預金や送金のような機能がビットコインの世界では銀行や国家を介在せずに実現できるようになっていることを見てきた(現在は取引所との複合)。ビットコインの送金などのトランザクションや管理はマイナーと呼ばれる世界中で運用されるコンピュータで計算され、ビットコインを保有するアドレスの取引は分散型台帳を見ることで誰でも確認が可能である。このような特性は非中央集権で透明性があり、改竄不能な分散型台帳としてしばしば表現される。改竄可能性については詳しく触れていないが、ビットコインでは確率的ビザンチン合意に基づくことによって計算結果に決定性を与えることとしている。

ビットコインはブロックチェーン技術を基盤としたペイメントシステムであるが、ブロックチェーンの非中央集権・トレストレスという特性は金融などの取引ひいては契約や様々な主体間の作用に対しても有効に活用できるということが分かってきた。支払いシステムとしてのブロックチェーンの活用ではなく、汎用的なブロックチェーンによってアプリケーションのプログラム自体を実行できる仕組みを実装したものがEthereumである。Ethereum上で動作するプログラムはスマートコントラクトと呼ばれ、スマートコントラクトによって動作するアプリケーションはDApps(Decentralized Applications)と言われる。ここ数年はEthereumを含めた様々なチェーンを使用したDeFiやNFTといったDAppsの利用が拡大している。

TBD、スマートコントラクト
広義のスマートコントラクト、狭義のスマートコントラクト
貨幣の機能のアンバンドリング、減価する貨幣(シルビオ・ゲゼル)

処理・契約の自動執行、中間者の排除による手数料の削減、改竄不可能性と常時確認可能な透明性、止まることのないシステムとしての耐障害性。

人類学や比較歴史学の研究から部族社会における互酬主義に基づく交換の習慣として贈与分配が見られることが分かっている。市場取引の源流とも言えるこのような人間社会における交換に際して、取引が円滑に行われるためには「情報の非対称性」と「契約の不完備性」という2つの要因を解決しなければならないであろう。この要因は市場取引、金融取引においても解決が必要な課題であり、これらの問題によって様々な非効率性が発生していると考えられている(市場の非効率性)。

情報の非対称性とは、品物や商品に対する情報や交換対象者について知り得る情報のことである。交換においては交換対象者に支払い能力が十分にあり、与信が適格であることなどが挙げられる。契約の不完備性とは、当事者同士の契約が想定通りに履行され得ない可能性、すべての状態や状況を事前に詳細に契約で決めることは不可能であることに由来する。

スティグリッツによれば市場経済において、ほとんどの市場では参加者は完全な情報を持っていないと仮定している。品物の市場にせよ労働市場にせよ、市場は不完全競争、不完全情報、外部性といった要因を持ち市場が経済効率を最大限に生み出すという役割を果たさなくなっていることを示しているという。経済学ではこうした種々の問題は市場の失敗としてよく知られている。[4]

先の述べた「情報の非対称性」と「契約の不完備性」という2つの要因においてインターネット・IPが「情報の非対称性」を緩和する情報交換のプロトコルとして、ブロックチェーンが「契約の不完備性」を補強する価値交換のプロトコルとして重要な役割を果たしていることに注目して欲しい。インターネットによって私たちは売りてや買い手、また市場の状況や商品の情報をより得やすくなっている。また前述した通り第三者による管理や執行が不要なスマートコントラクトによって通貨・債権・株式などの価値を地理的・時間的・コストを抑え実行できるようになっている。

インターネットは従来的に安全ではない通信網であるが、情報の移転や情報交換を地理的・時間的・コスト的制約から解放することに成功した。ブロックチェーンはそのインターネット上に抽象的な価値交換のレイヤーを作り、通貨や資産などの価値の取引や交換を地理的・時間的・コスト的制約から解放しようとしているように感じられる。このような性質からブロックチェーンを全般的に価値交換のプロトコルと呼ぶことがある。[5]

TBD、DAO(Decentralized Autonomous Organization)
会社・政府・組織などの機能をスマートコントラクトで置き換え可能。
透明性・公平性のある運営、耐障害性と不改竄性を備える。

DEX・MakerDAOなどDeFiプロトコルにおけるガバナンスのDAO化、アメリカ・ワイオミング州におけるDAO法人の法的承認。[6]

Coordination, Public Goods and Crypto (Part 1)
Coordination, Public Goods and Crypto (Part 2)

公共性

インターネットはBGPによってASが自律分散的にルート交換をするシステムとして成り立っている。類似してブロックチェーンはピアツーピア型のネットワークで非中央集権的なタイムスタンプの概念を使用しており、そのシステムを止めることなく暗号学的に以前の計算結果の改竄を不能とするようなシステムとなっている。これらは従来の組織である会社や国家、または個人が運用するシステムとは性質が大きく異なっている。それは中央の管理者がいないという点である。

amazonのサイトはamazonのインフラに事故が発生したり、amazonが倒産した際には止まることがあるかもしれないが、インターネット・ビットコインというシステムは基本的に止めることができない(人類が消滅した際を除く)。ビットコインにおける取引やEthereumのステートなどパブリックなブロックチェーンではその計算結果や取引を誰でも閲覧できるため、トランスペアレントであるとも言われる。これらの性質によってブロックチェーンにより実現される通貨やアプリケーションは公共性を帯びていると考えられている。[7]

これまで我々は共同幻想としての日本国や日本銀行の信頼の表象であるところの日本銀行券を債権として使用してきた。むしろ使用することを強制されていたともいえる。税金は日本円強制サブスクリプションだとネット上で揶揄されていたがあながち間違ってはないだろう。ブロックチェーンやチェーン上で発行される暗号資産が百花繚乱の様相を呈してくると、物理的な生活のレイヤーの上において仮想的な経済圏、ガバナンスやスマートコントラクトによる契約の執行を行うことで物理的な世界の生活圏をオフロードするような動きが可能となってきた。

このことは選択の多様性をもたらし、通貨やアセットといった価値を特定の国の法律圏からはみ出るような形で所有し交換することを可能とする。各国においてはそのようなデジタルな資産に対する規制や建て付けはあるものの、個人のIDと直接結びつくことのないブロックチェーンに使用される秘密鍵からでは誰がそれらの資産を持っているか特定することは難しく、またブロックチェーン自体が非中央集権的であるためにどこに所有しているのか、ということも言い当てることが困難である。

1980年代以降に金融の自由化やグローバル化が進むと同時に、労働や資本の、情報の国際的な移動、インターネットの発展と多国籍企業の進展によって第二次グローバリゼーションが生じ、法律・会計面、社会体制や思考様式などが画一化される傾向が見られた。ドイツの社会主義者K・カウツキーは、超帝国主義という言葉でこの潮流を表現した。さらにこのような画一化とは別として、巨大IT企業の租税回避問題や、一部の宗教・イデオロギー的な活動の拡大によって国民国家といった概念を超えた脱国家的・超国家的な枠組みや動きも現れた。

ブロックチェーンもその文脈においては国家の枠組みを超えた超国家的なシステムでありまた公共性があるということができるが、その性質は社会や国家による公共・公共サービスというよりも自然的な公共に近い性質を持っていると考えることができる。星 暁雄氏の『ブロックチェーンは公共のものか』内のアンケートにおいても公共性は、”誰に対しても開かれている性質”であるとする回答が多いことからもブロックチェーンの持つ公共性は国家・社会といった単位より広範囲な公共と捉えられていることが分かる。

さて公共性というものが”誰に対しても開かれている性質”と言う前提のもとに同記事では社会学者の橋爪大三郎氏が2000年に発表した論文「公共性とは何か」(社会学評論、50 巻 4 号)で提示される「公共性の装置」という考え方が展開される。税、王(主権力)、法、宗教、市場、言論──これらはいずれも「公共性の装置」であり、様々な「公共性の装置」が組み合わさって私たちの社会を形成している。

都市国家が形成された古代ギリシャ(ポリス・オイコス)や中国(臣・民)においても私的な領域と公的な領域は存在していた。また社会人類学によれば都市国家が成立する前の氏族や部族社会においても公的という概念がある程度認められるという。部族社会における互酬主義に基づく交換の習慣として贈与分配が見られることを述べたが、橋爪論文では、公共的な問題領域が目に見えるかたちになった最初の証拠は税であるとしている。税は通常の社会関係である互酬的な財のやりとり(贈与)と対照的にある範囲の人びとからの一方向的な財の移動である。

税だけでなく市場・法(宗教)・社会契約などそれぞれの公共性には社会における個々の交換や問題、紛争などを解決・緩和するための「共同利害」が存在している。国家において税による公共サービスは、公共財の維持補修や生産に使用され、特定の組織(エージェント)によって提供される。共同利害というものを国民が認知している限りにおいて税のような一方向的な財の移動を、また法においては利害の解決のための法の執行を人々は受け入れる。法や国家においては公共性を維持するための組織(エージェント)が必要となるが、ここではこれを非自然的な公共と呼ぼう。

ここで先ほどブロックチェーンの持つ公共性が自然的な性質である、と述べたことを思い出して欲しい。公共性における自然的・非自然的とは何か。非自然的な公共とは人為的でありそれを維持するための組織(エージェント)が必要となる公共としよう。例として国家、法(宗教)などである。これらは公共を提供するための中央主権的存在であるエージェントがいない場合には維持することが困難になる。税を徴収した場合、公共サービスを提供する国家とその組織がその役割を担当することが挙げられる。

対して自然的な公共とはエージェントの存在を不要とする、つまり中央主権的な存在によってコントロールされない公共性である。それはすなわち自然そのもの、または言論などである。市場経済もある程度において社会における自然的公共ということができるかもしれない。ブロックチェーンの性質は自然的な公共の上に非自然的公共(通貨や法)をシステム的に成り立たせることを可能とする特徴を持っている。つまり自然的な公共の上にオーバーレイを作る公共であり、この公共性によって既存の国家や法律といった非自然的公共を書き換えるような働きを持つことが可能となってくる。

星 暁雄氏もこの「公共性の装置」の中で、税や権力や法は国家の管理下にある一方で、市場や言論は国家と独立していることに価値がある、と述べている。そこで存在自体に第三者・中央主権的な存在や管理を必要としない自然的公共がそうではない公共を前提していると考えることができる。この文脈において国家など高次の公共はより低次の公共より脆弱な性質を持っていると言えるのではないだろうか。低次の公共という下部構造によって非自然的公共が支えられているという構図を見て取ることができる。

市場経済は、普遍的なものである。国境や制度や民族の垣根をこえ、地球上をどこまでも拡がってゆく。一 般の商品に加えて、資本や情報もすみや かに移動するようになり、経済のグローバ ル化は、とめどもない趨勢とな っている。地球上の誰もが誰もと、自由に商取引を行なうのが、その究極の姿である。それに対して、公的サーヴィスが提供される範囲(すなわち税を徴収する範囲)は、地球上のごく局限された区域にとどまっている。

自然環境という自然的公共は限界費用がゼロに近く非排除性を持っている、これらの性質は経済学でいう純粋公共財の概念に近いが、ブロックチェーンもこのような性質を持つことが自然的公共とみなすことができる理由でもある。経済学における外部性の問題、例えば大気汚染を引き起こすような工場、大量の漁獲や乱獲による自然環境の毀損はそもそも所有権がないことが問題であるとされている。たとえば大気というのは地球全体の資源であり、誰の所有物でもないことから、この資源の利用を安全・効率的にするインセンティブが働かないのである。パブリックなブロックチェーンも同様に非中央集権的であり誰の所有物でもないという性質を持つ。

自然環境に対する一般的な所有権や権利というものを示すことはできない。このことを政治的には処理できないことが、地球温暖化などを引き起こす温室効果ガスの排出を削減できない主な原因と考えることができる。例えば個人や社会へ社会的費用を使用者へ支払わせるような仕組みを導入することができれば、自然環境の資源を効率的に使用するようなインセンティブを使用者へもたらすことができるはずである。論文では地球温暖化対策のため二酸化炭素排出を削減するための「炭素税」の導入を全地球的に推進するには、国を越えた人類規模の「公共性の装置」が必要だと指摘する。

環 境 そのものが、一種の公共財(経済活動に対する無償のサービス)であることがわかる。それはすべての国々の経済活動にとって、不可欠の前提となっている。そして、すべての国々が勝手に経済活動を行ない、環境を維持するコストを負担しなければ、破 壊されてしまうのである。

このような超国家的な公共性を達成するためには低次の公共性として活用しうるブロックチェーンのような技術で高次の公共性を実現するほかないと考えるわけである。経済学における自然環境の負の外部性を、政府の経済政策によって解決することは、国家や法というものがある程度の文化的・言語的制限を持っている以上難しく、また地理的な範囲に閉じていることで広範囲な領域に対応させることは困難であることから、公平・公正な結果をもたらす介入をすることが容易ではない。たとえば環境問題について、従来の方法で国家間の利害を一致させることは困難を極める。

国家や法といった高次の公共性によってそれより低次の公共性へ働きかけることに困難さがあるということを示したい。たとえば国家レベルの利害が発生すると、それは地球規模など低位のレベルの公共性に対して相反する結果をもたらすことがある。アメリカによるパリ協定からの離脱はその典型的な例であり、自然環境への公共をないがしろにし私的国家としての利害を優先させている行動と見ることができる。そこで公共性の装置として国家が管理する通貨や法を乗り越え、また書き換えるようなブロックチェーンの持つ公共性の活用が期待できるのである。

ブロックチェーンの持つ公共性は下部構造であり、その上部構造としての非自然的公共を構成できる可能性について述べたが、この抽象化された公共は国家のように人々を縛るものではなく選択肢を与え個人へ、より自由をもたらす点に注目して欲しい。例えば、日本国に出生した場合、日本銀行の債権である日本円、日本での法律や慣習といったものに個人の活動や考え方が制限されるが、抽象化されたレイヤーにおいては個人が経済圏や個人として好ましいと考える公共性の選択をしていくことが想像されるのである。この選択の自由は従来の国や民族、または宗教といったような公共を作り出す装置とは別の系として存在できるのではないだろうか。

橋爪論文においても長い目でみると経済的な格差、制度や文化の違いは縮小され、十分に長い時間がたてば世界は1つの市場に統合され、単一の経済的な公共空間となる可能性について触れている。このときに国家やその法という系とは別の公共がこのような世界を下支えしていると想像するわけであるが、公共性の装置として国家が管理する通貨や法を書き換え、非中央集権的に運用できるブロックチェーンの持つ自然的な公共性の活用が、現在さまざまな問題をかかえる上位の問題(地球環境破壊、地政学問題、宗教・民族問題)を緩和する糸口となるのではないかと考える。

ここまで、この章における個人的意見であり、また次章 ”イソノミア”のための骨子となる。以上。

Reference

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Yuya Sugano

Cloud Architect and Blockchain Enthusiast, techflare.blog, Vinyl DJ, Backpacker. ブロックチェーン・クラウド(AWS/Azure)関連の記事をパブリッシュ。バックパッカーとしてユーラシア大陸を陸路横断するなど旅が趣味。